生まれて此の方噓をついたことがないという人はいるだろうか。
「噓をついてもいいのかな」で検索したところ、僧侶や学者、教師、と思しき人達のブログを見るうちに興味深いページにはいれた。
埼玉県戸田市第一小学校4年生の道徳の授業での子供たちの意見だ。
噓をつくエピソードを交えながらの先生の問いかけに、子供たちが出した意見は、先の諸先生方の意見に劣らないと思えるものでした。
「相手を喜ばせる嘘なら、ついてもいい」
「たとえ相手が喜んでも、お世辞はだめ」
「場の空気をなごませる嘘だったらいいと思う」
「だめなのは自分の罪を逃れるための嘘」
「最初から相手を傷つけるための嘘もだめ」
次に掲げるのは、詩人の谷口俊太郎さんの意見です。
「嘘をつく気持ちは本当なんだ。嘘と本当を黒と白みたいに正反対のものとして捉えるのは単純すぎる。
噓をつかれた時、相手がどうして噓をついたかのかを考えるとその嘘に隠された本当が見えてくることがある。
自分が噓をついた時は、その場で考えるゆとりがなくても相手がどう感じたかを後になって想像するのも大事。
嘘をつかずに生きていくことは、誰にも出来ないのだから嘘を自覚しながら、嘘と一緒に生きていこう。」
あるドラマで「守りたい人の為についた噓が、守りたい人を必ずしも幸せにするとは限らない。嘘で真実とされた事の受けとめかたは、人それぞれだから」と云う言葉が耳に残っています。
私が思う、ついて悪い嘘は、誰かを陥れる噓、悪意を持ってつく嘘、相手を傷つける噓、そして自分を他人より良く見せようとする偽りの嘘です。
さて、あなたがついた噓はついてもいい噓でしたか?