次の映画をPCで観ていたら、自分の心から消した生みの母の事を思い起こしていた。
映画タイトル情報 母さんがどんなに僕を嫌いでも
“大好き”をあきらめない。20年以上、母の愛を諦めなかった息子の実話 一流企業で働き、傍目には順風満帆な生活を送る主人公のタイジ(太賀)だったが、実は幼い頃から母・光子(吉田羊)に心身ともに傷つけられてきた経験を持っていた。辛い気持ちを悟られまいと、つくり笑いを浮かべながら、本心を隠し精一杯生き抜いてきたタイジ。やがて大人になったタイジは、心を許せる友人たちと出会い、彼らに背中を押されながら、かつて自分に手をあげた母親と向かいあう決意をする。 (C)2018「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会
監督:御法川修 脚本:大谷洋介 原作:歌川たいじ「母さんがどんなに僕を嫌いでも」(KADOKAWA刊)
この映画を見ているうちに、忘れていたというよりも心に閉じていた母との事が、ページをめくるように思い出された。
とにかく母からは、よく𠮟られせっかんを受けた。頬や頭をたたかれる、腕や腿をつねられ、痛いと泣くとうるさいと押し入れに入れられる。夜なら、外に出される。子供ながらに理不尽だと思い母を見る時は「睨んで口ごたえするのか」「お前は橋の下から拾ってやった子」「お前なんか生まれてこなければよかったのに」「阿保」「どっかに行ってしまいよし」と悲しい言葉を浴びていた。弟や妹は叱られても叩かれることも暴言も無かった。「お母さんは怒りたくて叱るのではない。言う事をしない、イライラさせるお前が悪いから怒るんや」と優しく話すときもあった。しかし、いつも自分だけが母が言う、しつけという「せっかん」を受け、いらない子と言われるのは、本当に母の子ではないからだと父の実家の養女となる10歳ごろまで思っていた。思春期には結婚して家族をもったなら「絶対に母のような親にはならない!」「子供に手をあげない」と誓いにも似た思いを持っていた。
そして40歳、母と私のどちらかが死ぬまで縁が続くと考えると、不安な思いしか抱けなかった私は、母との縁を絶った。今、母の生死を知ろうと思えば容易く分るが、どうしても母を過去の人にしたいと思う自分がいる。
あと数年で古希となる私。一般的な生活よりも余裕のある生活をしたいと強く思えば思うほど、空回りし、自分をおとしめた生き方を選び後悔に苦しみながら送った時を思い出していた。思わず「独りよがりの生き方をしていたものだなあ」と呟いていた。
そして、もしかしたら母も子供の頃、しつけと言うせっかんを受けていたのかもしれない。また、典型的な職人気質の父と結婚し、三人の子供がありながら、町内会などの活動にも、子供たちの通う学校の事にも関りを持とうせず、親戚との付き合いも避ける。自分の考えでしか物事をみなかった父との生活は、私の知らない悩みも多くイライラの伴うものだったのではと想像もした。
私が5~6歳だったか父が撮った一枚の写真を思い出した。そこには、笑いながらエプロンで手を拭いて何かを言おうとしている母が写っていた。カメラを向けている父に「写さんといて、もう」と笑いながら言っていた母。現像された写真を父、母と弟と私が楽しそうに見ていた光景がハッキリと思い出された。本当に細やかながらもそこには、幸せがあった。
私はしつけと言うせっかんをした母を許せず、ずっと心に閉じていた。だが、今は「自分の体裁を何より第一にして生きていた母」として思い起こす事も有りかと考えられるようになっている。ただ、母の今を知る勇気は出せそうにもない。