今日の朝も、明るく澄んだ薄い青色のみ空色(みそらいろ)の秋の空。
朝晩、涼しく過ごし易いこの季節「秋」が一年の中で私は好きだ。
(関係ないとは思うのですが「秋」に生まれたせいかも。)
色とりどりの紅葉で着飾った木々が短い間に、枯れ色に変わり葉を落としていく様には寂しさも感じられるが、何故か落ち着いた気持になれる。
そう云えば、93歳で逝った義母は、自身の老いや、先に逝った義父や兄妹を思いだし、寂しい気分になってしまう「秋」は嫌だと言っていた。
去年1月に脳右視床に梗塞を起こした私。左半身に常時、重さを伴った圧迫感と痺れが残ったが、2月には一人で歩ける状態で退院できた。
梗塞が発症した部位から言うと奇跡に近い回復での退院だったそうだ。
しかし、バスや電車、エスカレーターへの乗り降り、階段の上り下り、立ち上がりも不安定で外出する度に、石段や駅の階段を下りぞこね、強くセネント床に膝をつくたびに負った擦り傷と打ち身で、両膝は焦げ茶色に変色している。
落ちたり転んだりしないように、リハビリに励んだが、圧し掛かるような圧迫感と痺れは、一向に軽減せず、踏ん張りがきかない。
去年の秋は、2月に「奇跡にも近い回復」で退院したものの、左半身に重りが貼り付いているような不快感と、思うように動けない苛立ちを胸中に抱えながら、過ごしていた。
私の誕生日に合わせて、京都に住む次女から可愛い小箱が届いた。
箱の中には、高野山で買ったという白檀の線香とジャスミン系の芳香がするドライフラワーが入っていた。
届いたその日から、線香は、毎日気の向いた時間に灯し、ドライフラワーは枕元に置き寝るようにした。
一週間ぐらい経った頃、夫から「この頃、笑い声が出るようになったね。」と言われた。
そう言えば9月になっても、一向に良くならない状態に嫌気がさし、リハビリを止めていた。
コロナウイルス感染の感染対策で、楽しみにしていた能楽の鑑賞や、日帰りバス旅行の中止が相次ぎ、予定してた法要も延期、暑苦しいマスクの生活。
そして何より、動きずらい自分に対してのはがゆさで楽しむという気持ちになれず、気付かないうちに喧々(ケンケン)とした表情で毎日をおくっていたのだろう。
夫からの言葉に、反省もあり、一週間を振り返ってみた。
線香が灯っている30分ほどの時間。
白檀の香りに包まれながら、何かを考える事も無く、ただ、ぼんやりしているこの時がとても穏やかに感じられ、楽しむ様になっていた。
就寝時も、ふっと香るジャスミンの匂いに癒されていた。
1年経った今では、お香を好きな時間にたき、ぼんやりと頭を空にする。
枕元に置いてあるドライフラワーには好みのアロマ液を注し気持ちよく眠りにつくのが習慣になっている。
後遺症が残り、定期的検査を要する病気に罹ってしまった身体だが、まだ生きていられる。
これからも好きな「お香」に癒しを受け、緩ーく生きて行こうと思う。