挿し絵はCanvaからのグラフィックです
6月30日午後五時から地域の鎮守、素盞鳴神社でおこなわれるの神事、夏越の大祓いに行ってきました。
今にも雨が降ってきそうでしたが、前もって配られていた人形(ひとがた)、お賽銭、この日まで玄関に掲げていた穢れ除けのミニ茅の輪をもって神社に向かいました。
(人形(ひとがた)・半紙や奉書でできたにんぎょうのこと名前を書き、体をなでたり息を吹きかけてから神社に納めたり、川に流したり、火で焚き上げたりします。この方法は神社によってさまざまです)
宮司さんの祝詞奏上、玉串奉てんに続いて集まった参拝者で大祓いを合唱。本殿へとつながる参道に設けられた大茅の輪を、神社の世話役さん、宮司、巫女さん、そして60人以上の参拝者での行列で3度往復後、本殿にお参りし神事は無事に終了しました。
蒸し暑さは感じましたが、時折通る涼やかな風に、穢れが拭い落されていくようでした。
新しく穢れ除けのミニ茅の輪を受け清々しい思いで帰宅してきました。
「今日のように大勢の人達が集まり、一緒に和やかにひとときを過ごせるのも、平和であればこそだな」と思いながら、ミニ茅の輪を玄関にお祀りしました。
6月の風物詩でもあるこの神事は、日本の民話や神話がベースにあり、興味深く「神仏ネット」さんのホームページの一頁をここに引用させて頂きました。
茅の輪くぐりとは|意味や由来、作法を解説
茅の輪くぐりとは6月と12月の末に日本の多くの神社で行われる、厄払いの神事です。
神社によっては、茅の輪くぐり以外に、
- 夏越の祓・大祓
- 茅輪神事
と呼ばれることもあります。
今回は茅の輪くぐりについてその意味や由来などを詳しく解説していきます。
茅の輪の読み方は「ちのわ」
茅の輪は「ちのわ」と読みます。
茅は「かや」とも読みますが、茅の輪に利用される植物のことで、古来から身についた厄を払う力があるとされてきました。
茅の輪は「ちのわ」と読みます。
茅は「かや」とも読みますが、茅の輪に利用される植物のことで、古来から身についた厄を払う力があるとされてきました。
茅の輪くぐりの意味は簡単に「厄除け」とご紹介しましたが、そのご利益は具体的に次のように言われます。
- 無病息災
- 厄難消除
- 開運厄除
等々
私たちが生活を送っている中で、知らず知らずのうちについてしまう災厄を振り払い、その後半年間健康で幸せに生きれるようにと願いを込めて行います。
6月末と12月の年末の期間に茅の輪くぐりをする意味
茅の輪くぐりが6月の末日と12月の大晦日に行っている理由は、それぞれこの期間が年末だったことに由来します。
現在の暦では、1年は12カ月となっています。
しかし、古来日本では1年を6カ月としていて、6月末と12月末はそれぞれ年末でした。
現代でも、年末には大掃除をして家をきれいにして一年間の汚れを落として新年を迎えますが、茅の輪はその考え方と近く、一年間の身についた穢れを落として、新年を清らかな状態で迎えるという意味があります。
茅の輪くぐりはいつまでか
茅の輪くぐりは神社によっていつまで行っているのかや、期間が変わります。
お近くの神社でいつ行っているのかはご確認いただく必要がありますが、一般的な茅の輪くぐりの期間についてご紹介いたします。
夏の茅の輪くぐりは6月の末まで
夏の茅の輪くぐりは6月の末までが基本です。
神社によっては6月1日から7月7日まで設置していたり、様々な期間があります。
また茅の輪は設置していなくても、現在で言う上半期の穢れを落とす行事として夏越の祓(名越の祓)を行っている神社もあります。
年末の茅の輪くぐりは12月の大晦日まで
年末の茅の輪くぐりは12月の末の大晦日までが基本です。
神社によってはお正月の期間に設置しているところもあるそうです。
茅の輪くぐりの由来
茅の輪くぐりという行事が行われるようになった由来には蘇民将来という人物についての日本の民話に由来します。
蘇民将来のお話は様々な書物で書かれていて、鎌倉時代に編纂された、「釈 日本各紀」や茅の輪くぐりにとても関係が深い八坂神社の歴史について書かれた「祇園牛頭天王御縁起」という書物や伊勢(三重県)などの伝承にてそのお話が見られます。
いずれも似たようなお話ですが、一部違う点がありますので、そのあたりを考慮して、簡単に蘇民将来と茅の輪のお話を解説いたします。
蘇民将来と茅の輪の物語
蘇民将来の茅の輪の物語には、スサノオノミコト(素戔嗚命)という神様か、そのスサノオノミコトと同一視される牛頭天王と言う神様が出てきます。(武塔神と表記されたものもありますがスサノオノミコトと同一視されます)
今回は釈日本各紀にある備後国風土記の蘇民将来の物語をベースにご紹介いたします。
武塔神という神様(=スサノオノミコト)が嫁を貰いに旅に出ます。
この旅の道中に日が暮れてどこか一泊できるところを探すことになります。
その村でお金持ちで大きな屋敷を構えていた巨旦将来(こたんしょうらい)という長者に宿をお願いすると、断られてしまいます。
(牛頭天王のお話の場合、断られたことに大激怒し一族もろとも殺してやろうかとするほどの荒ぶるのですが、その怒りを沈めます)
巨旦将来に断られた一行は、巨旦将来の兄弟であまりお金がない蘇民将来(そみんしょうらい)というものに宿を願い出ます。
すると蘇民将来は「狭い家で良ければ、ぜひお泊りください」と快諾します。
泊めたばかりでなく、貧乏ながらもとても丁重に対応した蘇民将来に感動したスサノオノミコト(牛頭天王)は一泊した後、蘇民将来の家を後にし旅の目的である龍神の娘をもらい、帰り路に蘇民将来のところへ感謝の気持ちとして「茅の輪」を授けます。
そして、「蘇民将来の子孫です」とわかるように茅の輪を腰につけなさいと言葉を残して元の国に帰っていきます。
スサノオノミコト御一行が帰って間もなくすると、この蘇民将来の子孫以外の村人は全員疫病によって死んでしまうのでした。
スサノオノミコトが渡した茅の輪の「厄除け」の力によって、蘇民将来の子孫たちは助かり、茅の輪や蘇民将来という名前には厄除けのご利益があるとなるのです。
ちなみに、牛頭天王の話では、蘇民将来の家にお世話になって旅立つ時に玉を授けます。するとその玉の力によって蘇民将来はとてもお金持ちになります。
そしてスサノオノミコトの話と同様、嫁をもらって国に帰る途中蘇民将来の村に立ち寄ります。
すると、蘇民将来がお金持ちになったことを羨んだ巨旦将来が今度は「私の家にどうぞお泊りください」と虫の良いこと言います。
この後ひと悶着があったのち、牛頭天王は巨旦将来の一族たちを蹴り殺すという何とも悲惨な結末に至ります。
蹴り殺した後牛頭天王は蘇民将来に「茅萱の輪(茅の輪)をつくって、”蘇民将来の孫”と書いたお札を玄関に飾りなさい」と言って後にします。
牛頭天王という神様は、元々疫病神だったのですが、疫病神から厄除招福の神様となって、全国様々な地で祀られるようになります。
牛頭天王という神様についてはこちらで詳しく解説しています。
牛頭天王とは|蘇民将来の物語やスサノオ都の同一説/ご利益やご真言を解説
牛頭天王という神様は昔はとても有名な神様でしたが、現在はあまり聞かれません。これは明治時代の神仏分離令の影響で、仏教に関係する牛頭天王を祀る神社は同一視されたスサノオノミコトという神様に名称を変えないといけなくなったからです。(昔は神様が同一視されることは往々にしてあって、これを神仏習合と言います。)
茅の輪くぐりと夏越の祓・大祓
茅の輪くぐりという神事は、元々は「大祓・夏越の大祓」と呼ばれる行事があったところに、追加されたものです。
夏越の祓・大祓は冒頭で解説しましたが、新しい年を迎えるにあたって、一年間の身についた厄を祓い良い一年を迎えるために行われていた行事でした。
神社で唱えられる重要な祝詞の大祓詞はこの時に読まれていた祝詞から作成されたものです。
この祭礼は元々宮中が行っていたのですが、上記の蘇民将来のお話から、厄除けの神様である牛頭天王を祀った神社やスサノオノミコトを祀った神社で行われてそれが他の神社にも採用されるようになったそうです。
この夏越の祓は日本神話にあるイザナギノミコト(伊弉諾命)が死者の国から帰ってきて体についた穢れを払うために行った「禊祓」という神話に由来します。
ちなみにこの禊祓の時に、スサノオノミコトやアマテラスオオミカミ(天照大御神)という神様も産まれます。
大祓・夏越の大祓という行事についてはこちらで詳しく解説しています。
大祓とは|夏越の大祓の意味や人形・茅の輪くぐりの効果について解説
茅の輪の材料の意味
なぜ茅の輪という茅(かや)で作った輪っかが厄除けの力を持つようになったのかには諸説ありますが、茅という材料自体が厄除けの力を持っていたとされるためです。
現在では茅(茅萱)以外にも、同じイネ科の植物で作られることもあります。
茅の輪のくぐり方
茅の輪のくぐり方には作法があります。
ただこの作法は神社によって違いますし、参拝した先の神社の茅の輪の近くに、くぐり方の作法を図示してくれているのが普通ですので、神社の作法に則って参拝してください。
一応以下では一般的な茅の輪のくぐり方についてご紹介します。
茅の輪くぐりの作法
茅の輪は拝殿の前設置されていて、神社に入って、手と口を清めて、茅の輪をくぐって参拝をします。
くぐり方は、
- 茅の輪の前に立ってご本殿に向かって一礼をします。
- 左足で茅の輪をまたぎながらくぐって、左に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の①)
- 右足で茅の輪をまたぎながらくぐって、右に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の②)
- もう一度、左足で茅の輪をまたいで左に回り、茅の輪の正面に立って一礼(写真の③)
- 最後に茅の輪をくぐって拝殿の前に行きお参り
左足右足の作法がないところや、2度目の左周りがないなど違うこともあります。
茅の輪をくぐりながら唱える詞や和歌
また、茅の輪をくぐりながら神拝詞と言い、祝詞を唱えるという作法もあります。
茅の輪をくぐりながら唱える祝詞は
- 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ
というものです。
その他にも、
- 一周目:水無月の名越の祓するひとは千年の命のぶといふなり
- 二周目:思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓いつるかな
- 三周目:蘇民将来 蘇民将来
等々和歌を唱えたりもします。(神社本庁では上記の一周目の和歌を唱えるとのみ説明があるなどバラバラです。)
神社によって、違う和歌を唱えたりもしますので、そのあたりもご参拝した神社で確認してください。
茅の輪のくぐり方の由来
茅の輪くぐりで最も一般的な回り方である、「左→右→左」という回り方にはもちろん由来があります。
諸説あるのですが、この「左→右→左」という動作は、神道の様々な所作にも使われるものです。
例えば、御手水で手と口を清めるとき、手に注目すると「左→右→左」の順になります。
また、お清めのお塩を振る際も左→右→左。
ご祈祷をお願いして、神主の方がお祓いの際に、大幣(おおぬさ)を「左→右→左」の順に振る。
このように左→右→左が神道の所作にはよく出てくるのですが、この由来はイザナギノミコトが禊祓をしたさいに、
「左目→右目→鼻」と言う順番で洗ったことに由来するという説があります。
他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国土と様々な神様を産む際、今で言う結婚式のような儀礼を行います。
その際、天にも昇る大きな柱をイザナギノミコトが左周り、イザナミノミコトが右回りでイザナギノミコトが声をかけるという流れで結婚をします。
このように古くから左→右という流れがあったことが、茅の輪くぐりの作法にも現れているのですが、この左の方が優位・大事という考えは神道に限らず日本では左上位という考えとして残っています。(演劇等の舞台も左が上手と言われます。)
茅の輪くぐりでしてはいけないことなどの作法
茅の輪くぐりでしてはいけないことについてですが、茅の輪の茅を引き抜いてはいけないという作法があります。
昔は、この茅を持ち帰ることがお守りになるという迷信がありましたが、現在では茅の輪の茅はたくさんの人の厄を持っているもので、それを持って帰るのは災厄を持って帰ることと考えられるようになります。
神仏ネット 神道の知識・作法
夏越の大祓い・茅の輪くぐりは、平安時代から見られた夏の神事のでもあり、風物詩でもあります。
現在も日本のあちこちの神社で暮らしに溶け込んだ年中行事でもあり、日本の文化の一つとなっています。
これらの行事がこれからも受け継がれ行われていくことを願わずにはいられません。