いつもより早く目が覚め台所に行くと、テーブルの下に家猫のクーちゃんが横たわっていた。
「(変だ!)クーちゃん⁉」抱き上げた体は冷たく凍ったように固い。
(死んでる⁈嘘!)何で独りで逝ってしまったの、ねえ、クーちゃん!気付いてあげられなくて御免! 御免! 御免!
着ているパジャマに、クーちゃんを包み立ったまま、「奇麗にして楽な状態にしてやらないと」旦那に促さられるまで、オンオンと泣いていた。
荼毘にふされ慰霊碑に納められてから2年経つも、クーちゃんのその時の姿が思い出されてしまい、後悔の念に駆られ気持ちが沈んでしまう。
ペットロスに近い状態になっていた。
先日、娘から電話が入った。
娘が話してくれた内容は信じがたい事でもあったが、霞が晴れていくような感覚で聞いていた。
「お母さん、夢か現(うつつ)か私にも判らんねんけど、あまりにもはっきりとクーちゃんが現れて、お母さんに伝えて欲しいと頼まれたんで、話すね!」
❝お母さん、「クー」はお母さんと過ごせて楽しかったです。
特に「クー」が死ぬ前の2年間は本当に楽しく面白かった。
「クー」はお母さんが家族になって、この家で暮らすようになるまでは、自分は「クー」と呼ばれる人間だと思って過ごしていたのです。
だから、この家のお父さんとお婆さん以外の人間には懐かず、不用意に私に触ろうとしたり、チョッカイを出してくる人間が嫌で、人間が家に入ってきたら洋服ダンスの上から、早くいなくなればいいと思いながらシラーッと見ていたのです。
お母さんと一緒にこの家にきた犬の梅さんは私に対して、不思議と距離感をわきまえてくれていたのですぐに仲良くなれたんだけど。
反対にわたしと早く仲良くなりたいとグイグイとくるお母さんには、引いてしまい無視を決め込んだんです。
いつ頃かしらお母さんは、にこやかに私に話しかけるだけになりましたね。
それまで、緊張気味で過ごしていたのが、スーと楽になったのを思い出します。
『クーちゃんは、猫の姿をした人間かもしれないよ』って、お父さんに話しているのを聞いた時には、もうこの人とも仲良く暮らしていけるなと思ったんですよ。
そして、もしかしたら「私は猫で人間じゃないかも」とも考えはじめたのです。
お母さんはよく、ゴキブリやネズミが出た時、キャーキャー言いながら逃げ腰で殺虫剤を吹きかけていましたね。
お母さんには見られていませんでしたが、実は「クー」は、跳びかかりたい衝動に駆られ、いつでも一撃必殺できる体勢をとっていたんですよ。
こんな事もありました。お母さんが居ない時に、大きな雄の野良猫が、裏庭から屋中に入って来たのです。
追い払おうと猛然とパンチを繰り出したのですが、相手のパンチの威力が勝っていて、洋服ダンスの上に一旦あがると「この家の猫は弱いなぁ」と言いながら家の中を悠々と回りかけた時です。
わたしより小さい14歳の老犬梅さんが、歯をむき出しにして猛ダッシュで野良猫に跳びかかったのです。
その勢いに驚いたのか、猫は、慌てて出て行ったんです。
情けないですが、その野良猫と3回やり合ったのですが一度も勝てませんでした。
そんなことがあって、私は自分の弱さも知りましたし、猫より小さい老犬の梅さんをちょっと見下していたんですが、大好きになったんです。
そして、これからは自分のしたいように過ごして生きたいと思ったんです。
気が向いた時に、おかあさんの膝の上で寝ころび体を撫でてもらう。
毛づくろいをして欲しい時は、お母さんの腕や足に頭をグングン当てる。
お腹がすいた時は、ニャーニャー甘えた声で鳴き、ご飯が食べたいとせがむ。
寒い日は、お母さんの布団に入って寝る。
ネズミや虫を捕まえる。捕まえたら自慢しに行く。
本当に楽しかった。
お母さんは、「クーちゃんが甘えてくれる」と、とっても喜んでくれてましたね。
お母さん、「クー」はこの世での命が尽きる時を知っていました。
だから、その時の姿を誰にも見られたくなくて、独りで台所にいたんだよ。
そして何より、生命の抜けた身体を、お母さんに一番に見付けて欲しくって!
お母さん、もう、「クー」のことを思い出して泣かないでください!
「クー」との楽しかった時のことを思い出して笑ってください!
お母さんが悲しんでいると「クー」まで悲しくなります!
お母さん、お別れしますがいつの日かまた、会えます!
その時はクーの姿ではないかもしれませんがお母さんには判る筈です❞
伝えてくれている娘も、「クーちゃんは優しい子やなぁ」と鳴き声になり、聞いている私の顔は涙でグシャグシャ。
でも心はクーちゃんに貰った温かい言葉で満たされ幸せです。
いつの日か会える時が楽しみです。